読んだら書くだけの存在

漫画や本を読んだ後の個人的感想の記録

7. 『血潜り林檎と金魚鉢男』1~3巻 固有の世界観を上手くまとめた良作

 人は協調性がなければ生きられない。たった一人で人間社会に生まれて死ぬまで独力で生活できる者は存在しない。誰しもが顔を合わせず名前も知らない他人の支えを借りて立っていられる。

 

 その一方で周囲からずば抜けて個性豊かな個人に多くの一般人は惹かれるものだ。それは稀有な才能だったり思想や技術だったりもする。強烈な個性に憧憬をもちながら一般社会に適応しなければならない、ある種のジレンマを抱えているのだ。

 

 創作においても、100%作者のやりたいことだけやっていてもまず成功しない。”大衆受け”は倦厭されがちだが商業には必要不可欠な要素である。

「自分のやりたいことは売れてからやればいい」と言われる。

 

 しかし、多大な努力と育んできた固有のセンスを活かして、そんな忠告を飛び越えるクリエーターは少なからず存在する。

 

血潜り林檎と金魚鉢男(1) (電撃ジャパンコミックス)

 

 

 『血潜り林檎と金魚鉢男』は当時の文化庁メディア芸術祭漫画部門の審査委員会推薦作品に選ばれた作品だ。

 

 といっても私は今回読むまで知っていたのはタイトルのみ、しかも本屋で背表紙を見かけたくらいの知識と認識だった。作者の阿部洋一先生のことも不勉強で知らなかった。

 

 けれど逆に言えば背表紙を見ていただけでタイトルに既視感があったのは他で全く見たことない未知の文字配列だったからだ。

 

 考えてみて欲しい。『血潜り林檎と金魚鉢男』の文章から何が想像できるだろう。

 

 血液の中に潜るリンゴって? 金魚鉢の男とは?

 

 分解すれば一つ一つの言葉の意味が通る平易な言葉だ。なのに組み合わせれば途端にオリジナルとなり解読難易度が上昇する。言語の面白さを感じる。

 

 正解は”血潜り”と呼ばれる役割をもつスク水少女の林檎が、水場と出血した人の元に現れる吸血鬼=頭部が金魚鉢の”金魚鉢男”の被害者を「すくう」話である。

 

 

 ――まだ理解が難しいかもしれない。答えは実際に読めばすんなり理解できるのだが、この話の特異な世界観と設定は興味深い。

 

 

 漫画家はまだ見ぬ作品を作ろうと知恵を絞り試行錯誤を繰り返しネーム、下書き、ペン入れ、と段階を経て完成させるの一般的だ。

 

 話を考える最初の段階は力が入ると思う。皆があっと驚く奇抜で独創的な話を描きたい。全漫画家がそう考えるだろう。

 

 だがしかし、斬新かつ奇抜なアイデアを生み出すのは至難の業だ。さらに生んだ後に育て上げて完成させるのは困難を極める。その作品が世に出て「面白い」と評価されるなんて不可能にも近い。

 

 

 誰もやってないこと自体少ない。やってないことを見つけても「難しいから誰も手を付けていない」と考えられる。創作の困難はここにある。

 

 

 

 この漫画はそれらを乗り越えている。

 

 金魚鉢男は金魚を人の首筋にくっつけ吸血する。その時できた穴から”金魚毒”が体内に入り、被害者の”魂血”を吸い取り増殖、吸いつくされた被害者は金魚になってしまう。この世界では金魚鉢男の事件はテレビでも取り上げれれているほど広く知られているようだ。

 

 

 血潜りは被害者の首の穴に拳銃を打ち込み体内に潜り込む。そして金魚すくいポイを使って体内で魂血を吸う金魚毒をすくいとる。そして被害者の金魚化を防ぐ

 

 血潜りたちが常にスク水を着ているのは血に潜るため。彼女らは服を着る方が恥ずかしいらしい。血潜りも一般に知られているようだが、スク水で街を歩いているのはおかしいらしく職質されていた。

 

 

 

 何だこの発想は。

 

 

 作者はこういったアイデアをまとめ上げて面白いストーリーとして完成させている。オリジナリティと面白さを両立できる人は尊敬してしまう。

 

 けれどこの漫画、3巻で完結するのかと思いきやそうではないらしい。発売までの大きな間と出版社の変更があるが、新装版全3巻と続編の『新・血潜り林檎と金魚鉢男』が全2巻刊行されている。

 

 

 『新~』でストーリーが完結するのだろう。新装版も恐らく話に変更はないだろうが画は加筆修正されているようだ。機会があればそちらも買って読み比べてみたい。

 

 

 とりあえずは続編と、作者の他作品を読んでみたいと思った。