読んだら書くだけの存在

漫画や本を読んだ後の個人的感想の記録

10. 『成程』 軽妙な言い回しで広がる日常の出来事

 私たちは果たして日常生活を楽しめているのだろうか。

 

 ありきたりで当たり前の事象しか起こらない、機械仕掛けの毎日に身を任せ情報の濁流に溺れて思考停止してるだけかもしれない。

 

 

 しかしどんな人も毎日を楽しめていた時代があったはずだ。

 全員とは言わないが子ども時代や学生の頃は少なからず日々に新鮮味があったのではないだろうか。

 

 

成程 (楽園コミックス)

 

 普通の女子学生の日常を描いた漫画は数知れない。私の本棚にも何作もある。そもそも高校生というたった3年間の特殊な環境と立場は物語にしやすい。

 とりわけ漫画やアニメのような現代社会が舞台だが細部を見ると少々現実離れした設定でストーリーを構築しようとするならうってつけというわけだ。

 

 

 作者は奇才・平方イコルスン先生。他作品だとまだ『駄目な石』しか読めていないが、そちらも成程というタイトルも個性的センスの塊である。

 

 主に女子高生を主題にしたオムニバスの短編漫画集なのだが、セリフ一つとっても独特なワードセンスが光る。一コマ目からオチコマまで斬新な切り口をしているし、そんな経験ないのにいつか経験したなと思ってしまうような些細な日常を題材にしている。

 

 日常マンガの良いところは思考を意識的に働かせなくても自動的に脳が話を理解し指がページを送ってくれる点にあり、まさに疲れた現代人向けである。

 

 本作にわかりやすい癒し要素はないが、会話のくだらなさの中に何か人生の哲学的本質が隠れているような、読者はそれを取り出せそうで取り出せないような感覚を一話ごとに得ていく。一冊読了すれば、脳内で話の断片がふわふわと浮遊する中、しばらく物思いに耽ってしまう。

 ――まぁいくら考えても何も生まれないのだが、こういう無駄にも思える脳の動かし方が本来人間には必要なんだと思う。

 

 古代ローマの賢人たちは日がな思考に思考を重ね、漠然と出来上がったモノにさらに思考混ぜて捏ねて練り上げることで物事の真理に一歩ずつ近づいていった。

 彼らのようなごく一部の人々が社会を、文明を、今日まで発展させるを創ってきた。私たちの大半はそれを享受しつつも怒涛の時代に流されるよう生きてきた。

 

 そして現代人は誰もが古代とは比較にならないほどの知識と技術を補う道具を手にした。生活は豊かになり娯楽は増え続け、経済が社会を回している。

 

 それは本当に正解の道だったのか。人外の力に頼るのでなくもっと人と対面で話をするべきじゃないのか。一人でゆったり時間を忘れ思考を巡らせるべきではないか。

 

 社会が発展したからこそ漫画も存在するのは自明の理ではあるが、その漫画により真理の一端を知るのは皮肉な結果といえる。

 

 

 

 訳の分からないことを書いてしまうのは、疲労のアルコールのせいか、はたまた寝不足の深夜のせいかわからないが、唯一言える確かなことは、

 

 

「この漫画はもし仮に意味がなくとも面白い」