読んだら書くだけの存在

漫画や本を読んだ後の個人的感想の記録

80. 『スペシャル』1~4巻完結 異常が常の平穏の影に蔓延る不穏

 世に名作映画は数あれど、鑑賞後に放心してしまった映画は少ない。

 

 大して多くない映画遍歴を振り返って、5本あるかないか。衝撃度か感動が高いエンディングに絞られる。一般にも知られた作品ばかりだ。

 

 漫画になるともっと少ない、気がする。

 それは単に私が読んできたジャンルによるかもしれない。しかし感動しただけでは、期待を良い意味で裏切られただけでは、最良の読後感は得られない。

 

 

 今回は久しぶりに素晴らしい読後感を味わった

 

 なるべく核心には触れないように話を進めるが、一部ネタバレがあるかと思うのでご了承ください。

 

 

スペシャル (4) (トーチコミックス)

 

 平方イコルスン先生のスペシャル』は以前からずっと読みたかった作品だ。

 

natu-comic.hatenablog.com

 

 作者初の長編連載、8年をかけてついに昨年完結したばかり。

 実は『成程』を含め本作以外の単行本はすでに読了済みだった。他作品が短編オムニバスなので長編は読むタイミングを少しうかがっていたのだ。それに特に理由はないのだが、心の準備が必要だった。

 

 田舎の高校に転校してきた主人公・葉野四六時中ヘルメットを外さない女子・伊賀に貸したシャーペンを粉々にされたことがきっかけとなりじわじわ距離が縮まっていく。伊賀は常人離れした怪力の持ち主で人と触れるどころか物を持つのも基本的にできない。葉野は彼女の助けになることを自然に行うようになる。

 伊賀との関わりを通して、豪農の娘・大石ガソリン好きな藤村整頓特異な・潔癖の津軽などよく考えるとどこかおかしなクラスメイト達と交流を深めていく。

 事件は起きない至って普通な日常、のようで異常が散らばった狭い世界のお話。

 

 

 固有の語彙感が組み木細工のように精緻な世界観を創り出す。作者は文系マンガの異端児だ。鋭利だが腑に落ちるオチが特徴の短編でその真価を十分堪能できていると思っていた。

 

 だがしかし、長編は短編とは全く違った

 

 前半は葉野と伊賀を中心とした日常会話劇。葉野の性格の良さや大石の金持ち具合と人の悪さ、伊賀の不器用でちょっと変わった趣味を持っているが良いヤツなところなどが活かされた起承転結が繰り広げられる。時間をかけてキャラクターの人となりを紹介するような平方イコルスンという一人の人間に作られた人工的なセリフたちのはずが、滞りなく目線が動いて話を飲み込みやすい。この辺りの話は短編に近い印象だ。

 

 そして後半、主人公と同じ目線で感じてきた世界の歪みと歪みが繋がり出す

 葉野の父の仕事は? 母親の存在は? 伊賀がどうしてヘルメットをしているのか? なぜ怪力なのか? 大石の家は何をしているのか? 山中に埋まる”槍”の正体は?

 読み進めていけば必然的に脳内に浮かぶ疑問もあれば、大きな違和感に隠れて気に留めていなかった要素が突如牙を向いてくる。”点”ですらない、周囲と同化した単なる”平面”だったものが実は見方を変えると山脈の如き凹凸を持っていたような、予想外の展開がページをめくるたびに明らかになる。

 

 最終4巻は無意識に呼吸を止めてしまい息つく暇もないほどに次コマを追ってしまう。セリフを、人物を、背景をシャッターを切るように網膜に焼き付けていく。鼓動は上限知らずに高まり、彼女らの数秒先の未来を一秒でも早く見たいと思ってしまう。終わりが近いと悟り、それでも先の展開が読めない焦りと期待で汗が止まらない

 

 残り数話を後頭部を不意に鈍器で殴られたような衝撃で脳が揺さぶられながら、それでも立ち止まらずに読み続けた。

 

 ついに最終話。全ての終局、4巻分以上を感じる世界の時間に幕を下ろすときが来た。

 たった2人だけで迎える物語の終幕は、不穏が消去されないまま機械的な呻き声を鳴り響かせて唐突に訪れたのだった。

 

 

 読後の私に残された煩悶とした情動が、たった今まで読んできた物語を何周も回想させる。

 

 本作は説明が非常に少ない張り巡らされた巧妙な伏線たちは役目こそ全うしたものの親切ではなかった。読者は翻弄する様に明かされた事実を元に、否応なく自前の想像力を全力で回転させなければならない。たった一つだけの真実は作者の中にしか存在しないが無限の解釈が読者に残されている

 無数に伸びては折れて分岐する世界線で結局たどり着くのは一つの確かなエンディング。けれど彼女たちは消えたわけでない。私から見えなくなっただけだ。

 

 我々には不可視でも、今も続いているだろう彼女たちの歪んだ小さい世界はハッピーじゃないかもしれないしバッドでもないかもしれない。ここでは鑑賞者の推論なんて無味無臭の空気と同じ、有って無いようなもの。

 

 私にできるのは、作品世界の謎を謎のまま妄想し、たまにでいいから彼女たちのことを思って読み返すこと

 

 誰かを支える特別な力がなくてもできるのはそれくらいしかない。

 

 

 けどまぁ、それがなかなかどうして大切なことだったりするものだ。